自分の昨年に名前を付けるなら『自主的に死に、生き返った1年』だと思った。それを友人に話したら、「キリストみたいじゃね?」と言われた。あんな崇高な方と同じなわけがなく、もっと私の自死・再生はしょうもないものだったが、私にとっては生き方を変える大きなチャレンジをした一年間だった。
これまでのこと
まず昨年の個人的チャレンジはこのブログを始めたことと、カメラを辞めたことだった。こう書くとちょっとしょぼいが、私にとっては「自ら死ににいくようなもの」だった。
このブログを書き始めた目的は
『ちゃんと嫌われること』
にあった。
尊大な言い方だが、私にとって人に好かれるということはさほど難しいことではなかった。自分を隠して、相手に合わせ、相手の欲しい態度や言葉を提供していれば、おおよそ嫌われることはない。
でもそれをやり続けて生きることは、この先不可能だと思った。自分の本心を偽ったまま、不平不満と疲労を重ねて、裏で呪詛のように愚痴をはいて、外ヅラだけいい顔する生き方をするだけの覚悟が持てなかった。胆力がなく、弱かったのだ。
誰も傷つけないように、誰にでも親切にして、そして誰にも誠実ではない自分が心底イヤになり、一念発起した。
自分をさらけ出そう。
思っていること、考えていること
全部書こう。
そしてちゃんと嫌ってもらおう。
「そんな人だと思わなかった」と思ってもらいたかった。
間違っているかも知れないけれど、私が最後に出来る誠意はそれしかないように思えた。
そして、目論見通りと言っては何だが、ちゃんと嫌われたようで、ブログを書けば書くほど、PV数は下がり、Facebook投稿でもいいね!なんてつかなくなった。正直言って、きつかったし、毎回とても怖かった。今だから言うが、何度も吐いた。嫌われる勇気を振り絞ったところで、実際に嫌われると当たり前だが痛い、悲しい、つらい。
そして不安も大きかった。
個人事業主である。いわばイメージ商売、人気商売である側面もあるので『いい人』でいた方ががぜん売れそうな気がしていた。こんなに書いちゃって、こんなにPV数も下がってしまって、わたしこの先大丈夫なのかな?という不安がよぎることもあった。
でもその瞬間に、『委ねよう』といつも思えた。
自分を出して、嫌われて、事業が立ちいかなくなったら
それは仕方のないことだと思った。
自然の摂理と一緒で
この世に不要なものは淘汰されるようになっている。
だからそうなったら、「不要判定」を受けたことになるから、その時は仕方がない。ひっそりと生きて行こうと思っていた。
世界に判断をゆだねることにした。
そしたら、嫌われた分「好きだ」と言ってくれる人が増えたし、濃度もかなり濃くなった。気の合う人、話が通じる人、感性が似ている人だけが残ってくれた。
嫌われる勇気をを出したら
ちゃんと嫌われて
本当に大切にしたい人
一緒に繁栄していきたいと思える人だけが残った。
だから最近のセッションの仕事はとても楽しい。私に過剰な夢も期待も描かず、投影もしない人が、等身大の自分を選んで来てくださったような精鋭ばかりだからだ。そして私がここで自分をさらしているから、自分をちゃんとさらしてくれる。
有難くて涙が出た。
まだ必要としてくださるならば、全力でお役に立ちたいと仕事に対する視座が変わった。もしかすると、まだ知り合っていないだけでお役に立てる人がいるのかも知れないとも思えた。淘汰されるまで、声を上げ続けたい。
そしてもう一つはカメラ事業を手放したことだった。
私には2つ信条がある。
一つは、『3回別の人から同じことを言われたら、神の啓示と思え』
もう一つは『一度手放して、戻ってきたらそれは私のものだ。戻って来なかったらそれは私の物ではないということだ』
という2つである。
カメラに関しては、想像していなかったが『手放したのに、戻ってきた』ものだった。それも半年くらいで。割と最速すぎて、正直ちょっと恥ずかしかった。
これからのこと。
カメラから逃げたことには理由がある。私は10代の頃から写真を見ることが大好きで、風景などの写真集を買ってはその景色に想いを馳せ、20代になってからは人物写真が好きになり、好きなフォトグラファーさんが担当している雑誌を買い込んでは、そのカッコよさにため息をついていた。写真展にも足しげく通っていた。
美しい写真を、かっこいい写真を見ることが大好きだった。
そして何より、その作品を生み出すフォトグラファーという職業を生業にしている写真家さん達を、心の底からリスペクトしていた。
でも、まさか見る専の自分が、撮る側に回るとは夢にも思わず、またなんの勉強もしてこなかったので、技術が地獄よりも低いところにあり、自分の写真を見るたびに下手過ぎて吐きそうになっていた。
尊敬する職業を冒涜しているようで、自分が許せなかった。
こんな下手な奴がいていい業界じゃない。
絶対にフォトグラファーとか名乗りたくない。
そのレベルに達していない。
そんな失礼なことは絶対に許されない。
こんなレベルでやっていい仕事じゃない。
早く、早く辞めなければ…
そんな想いが強烈にあり、自分から身を引いた。
だが運命はそうならず、結果一日限りと言う形で帰って来た。一日やってみたら死ぬほど楽しくて、またやりたいと思ってしまった。けれど、また初めてもどうせすぐ苦しくなるのも分かっていた。何かを変えなければならいと必死で考えていた。
そんなある日、友人が
『わたし2,3年後には法人化するからさ、そのHPの写真ミンちゃんにお願いしたいんだけど』と言われた瞬間に、もうホームページ用の写真のイメージが何枚も頭の中に溢れて来た。
すごく素敵な写真だった。
私にしか撮れない表情で、私には撮れない高度な技術満載の、それはそれはエネルギーに溢れたすごく素敵な写真のイメージだった。
そんな写真を使ったホームページなんて、超素敵すぎて友人の良さが伝わり過ぎて、絶対その会社繁盛しちゃうでしょ。やだ、間違いない。成功が間違いない。
絶対に撮りたい。
その仕事、誰にも渡せない。
わたしがやりたい。
そう思うのと同時に、今現在、わたしはカメラを持っていないのである。さらにあのイメージ通りの写真を撮ろうと思ったら、結構機材も技術も必要よな、と悟った。一から勉強して、しっかり技術を付けないとあの写真は私には無理だろうと判断した。
その時気がついた。
ああ、わたしはすごく写真を見るのが好きだったから
写真に対するハードルがとても高くて
それをクリアできていない自分が悲しかったし
悔しかったし、恥ずかしかったんだ。
そこから逃げたくて「好きじゃない」とうそぶいて、すねて、逃げたんだ。そういう根幹に気が付いた。
ほとんどの人を撮る時に、イメージがいつも頭に浮かんでいたけれど、一枚もその通りに撮れなかったのが悔しくて「才能がない」って逃げたんだ。
本当は、本当に本当に本当は
頭の中のイメージ画像を、いつだって再現したかった。
この世で最も美しいと自分が思う目の前の人を
美しく撮ってあげたかった。
イメージ通り素敵に撮ってあげたかったのに、出来なくて、申し訳なくて罪悪感から逃げ出したのだ。
じゃあ、どうしたい?と自分に聞くまでもなく、イメージ通りに撮れる自分になるためにはどうしたらいいか?という考えが先行した。
ちゃんとカメラを学び
しっかり機材をそろえ
力になりたい人の役に立ちたい。
生まれて初めて、自分からカメラに対してそう思えた。今までは「学ばなければならない」だったが、ここにきて「学びたい」になった。そして今までこの人に学びたい!という人が現れなかったが、急に「この人めっちゃいい」と思う理念を持っているプロフォトグラファーに出会ってしまい、もうこれ絶対にやるパターンやんと思った。
そして問題になるのは先立つものである。最低でも80万くらいは必要になりそうだ。前だったら金額にめげていた。そんなお金ないし、そこまでしてやりたくないし。どうやって資金調達するのか謎、とか言ってめげていたけれど、今回は「どうやって集めるかなー」と毎日そればかり考え、色んな人に意見を聞いたり調べたりしている。実現するために具体的に考え、動いている自分がひどくまともな人間になったように思えた。
人ってすごい。本当にやりたいと思ったことなら、「諦める言い訳」を探すよりも「実現可能な方法」をちゃんと考えるのだから。さすがに親の老後の資金を借りるのは忍びないし、なんなら借りたお金をまだ返していないからその手以外でなんとかしたい。
どなたかお知恵がある方はぜひ、拝借させてください。
わたしは「この人が活躍したら社会の役に立ちまくって国が良くなっちゃうよ!!」という才能の持ち主を応援したいんです。
その人のミッション・経営理念にものすごく共感・賛同し、一緒にその夢を叶えたいと思う人のアシストを全力でしたい。その方法が写真や文章やセッションでもなんでもいいんだ。求められたものなら、なんでもするよ。
友人は、本当にそういう人。そう思わせてくれた人。
だから諦めるわけにはいかないのです。今までみたいに、技術がないから、機材が無いからと、本当に力になりたかった人たちの声を断るのはもう嫌なんだ。もっと魅力を引き出してあげられたかもしれないと後悔するのも、もう本当に嫌なんだ。
写真学んで、良いのが撮れるようになったからって、また以前のようにオーダーが途切れずに入る保証なんてどこにもないし、仕事にならないかも知れない。もしかするとかけたお金の分を回収することすら叶わず、赤字に終わるかもしれない。
それでもいいと思った。
そうなってもいい。
誰にも必要とされなくてもいいから
私は友人の写真を撮るためだけに
自分のクオリティを上げたいと思った。
今度こそ、私はフォトグラファーだと胸を張って言える自分になりたいと夢を見てしまったから、もうこれやるしかないやつなんです。そう夢を見ると人間は不思議なもので、「あれもしたい、これもしたい」とどんどん夢が出てくるんですよね。
フォトグラファーと名乗れるレベルになったら、あそことあそこの会社に絶対営業に行こう、わたしあの人たちの役に立ちたいってずっと思ってたけど言えないかった、とか本当に色々撮りたい人が浮かんで、夢が忙しい。
この話を別の友人にしたら「あなたがカメラのことをこんなに嬉しそうに語る日が来るなんて…」と泣いていたよ。苦しむ姿を見せて、心配をかけたり、悲しい思いをさせた分、今度は楽しんで撮影する姿を見せて、喜ばせたいと思った。優しいひとに囲まれている自分は幸せ者だと本当に思う。
これまでのこと、これからのこと。
全てが繋がっていて、そしてこの先にどんな未来が待っているか分からないから、どうせ未来が分からないなら、不安になって暗くなるより、私はワクワクして先に進む。
自分の人生を、見届けてあげようと思う。
何か面白いことをきっとやってくれるだろうと
私が私に一番、期待している。
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