ナカザワメグミ ドットコム

ナカザワの頭と心を大公開。魂ぶるぶる言わせたろか

才能や特技は「こん棒」

回想

こんなことを言ったらアレだけど

私は私の撮る写真がずっと好きになれなかった。

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 誰の評価の目にもさらされず、

好き勝手撮っていた時は

純粋に楽しかったのだと思う。

自分の世界を、自分一人で楽しんでいられたから。

 

 

でも、ひょんなことからカメラが仕事になって

今まで一人遊びのようにやっていた世界の壁が

急に倒れてなくなり、否応なしに

人様の目にさらされることになった。

 

 

それでも最初のうちは楽しかった。

好きな人たちからの仕事しか来なかったから

何を撮っても、私が好きに撮っても

「ミンちゃんの写真はいいねぇ」

と喜んでもらえたから。

 

 

でもそのうち、ご紹介が続くようになり

どんどん初めましての人が増えるたびに

求められることが一変した。

 

私の感性で撮る写真ではなく

プロカメラマンとして

「美しい写真」を求められるようになった。

 

 

その時にすぐに分かった。

私は人の表情を引き出すのも

その一瞬を捉えることも得意だけど

それ以外の写真のセンスは一つもないことを。

 

空間把握能力が弱いからか

風景と被写体のバランスが良く分からない。

だから構図を考えることが非常に苦手だ。

 

光や影を計算することも

色彩感覚も弱く

いわゆる「美しい写真」を撮るための要素は

一つも持っていなかった。

 

そして人の表情以外、興味が無かったから

どんなに頑張ってもあまり磨かれなかった。

 

 

それでもそういう写真を求められる。

それが苦しくて苦しくて

どうしたらいいか分からなくなっていた。

 

どうあがいても向上しない

芸術点と技術点。

 

自分の写真を見るのがどんどんイヤになっていった。

何を撮っても、誰を撮っても

「ごめんね」と思うのが苦しかった。

 

ごめんね。

私じゃなかったら

もっと美しい写真を残してあげられたのに

引き受けてしまって

ごめんね。

素敵に撮ってあげられなくて

ヘタで本当にごめん。

 

 

3年半を迎える頃には

すっかり心が擦り減ってカメラを捨てた。

 

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カメラを手放してから5か月。

どういうわけか、また撮影することになった。

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撮影した写真たちを見て

苦笑いした。

 

相変わらず、構図は下手だし

ピントは甘いし

芸術点と美術点は低め。

全く「映え」ない、私の写真だった。

 

「でも表情だけは良いんだよなぁ」

 

 

いつだって表情だけは豊かに撮れていて

何度見ても「キャワワ!!」と編集中に一人で悶絶する。

わたしの大好きな「その人の瞬間」が

パソコン画面いっぱいに広がっている。

 

 

美しさとはなんだろうと思う。

 

 

おそらく私は世間の美しさの基準を

知ってもいるし、美しいとも思う。

 

それらが作り出されるまでの創意工夫や

努力にも美しさを感じる。

 

 でも、それにあまり

心を動かされない。

 

私の琴線に触れるのは

いつだってその人の魂に対してなんだと思う。

 

その人の持っている能力や才能

今までどんな道を歩み選択し

これからどこに向かいたいと願うのか。

人生で何を味わいたいと思い

自分の可能性をどんどん広げ

どんな貢献をしたいと思っているのか

 

 

そういうものの総称が私の魂の概念なんだけど

それらに触れると、いつも震えるほどの喜びが来る。

 

 

こんなに大きくて、こんなに輝いていて

こんなに素敵な魂を持つあなたはすごく素敵。

そんなあなたが好き。

それが撮りたい。

撮って、私の好きな人は

こんな思いをもって生きてるステキな人で

私はそういうところが大好きなんだって

世界に言いたい。

 

 

魂の通りに生きている人は美しいんだ。

わたしはその生き様の美しさにしか

反応できない。

 

 

生き方が美しいって

品行方正って意味じゃないよ。

逆に、無様さらして泥水すすって来た人の方が

私個人としては好きだし。

 

 

人生を切り開こうとする

勇敢さを持つと、沢山挑戦する羽目になるんだ。

 

沢山挑戦すると、上手くいかないことに

もれなくぶち当たるし

痛い目にも、辛い目にも合う。

 

心なんかボッキッボキに折れるんだよ。

本当にこんなに痛のかとびっくりするし

笑えるくらいみじめでそれにもビックリするけど

そこまで自分を追い詰めてもなお

 

自分の可能性のオッズに挑める人って

やっぱり内側から出てくるエネルギーも

清らかに気高くギラっとしていて

美しいのだよね。

 

そういう人が好きだし

そういう人の纏う雰囲気を撮ってきたつもり。

「わたしはあなたの全てが好きだ」

そうやって写真で告白し続けて来たつもり。

 

 

でもそういうのが流行らない世の中じゃ

やっている意味もないのかなぁ、とも思った。

 

想いがあっても

表面的な美しさの価値が評価されるこの世なら

自分の想いなんて、風の前の塵に同じかも知れない。

 

ずーっとそう思っていたから

すごすごと引退決めて

ひっそりと療養していたのだけど

 

大阪に引っ張り出してもらって

「そういうことじゃ無いのかも知れない」

そう思った。

 

 

私は綺麗な写真は撮れない。

センスは磨かれると言っても

全然磨かれなかったから

この先もたぶんセンスはない。

 

でも「わたしの写真がいい」

と言ってこんなに沢山の方が

時間もお金も割いてご参加くださった。

 

 

世間に認められなくても

そんな想いだけで撮る写真がいいと

言ってくれる人がいるのなら

その人たちのためだけになら

喜び合って撮れる自分がいる気がする。

 

そんなことを考えながら

お写真納品後、主催者のしっしぃに

改めてお礼の電話をしている時だった。

 

 

求められていたもの

 

しっしぃはいつも優しい。

 

今回も私のつたない写真を手放しで喜んでくれて

「やっぱり!みんちゃんに頼んだ私の決断は正しかった~!」

「超満足の出来だよー!」

 

 そうやって喜び、労ってくれた。

 

しっしぃにはハイセンスで第一線で活躍している

プロフォトグラファーの友人がいる。

その人に頼めば、元の造形が美しい彼女を

綺麗に撮ることは出来るはず。

私の写真の10倍は完成度が高いだろう。

 

それなのにどうして今回

勇気を振り絞って、労力をかけてまで

私を呼んでくれたのか、最初は分からなかった。

 

「みんちゃんが撮ってくれた自分が好きなんだ」

 

だから次もあなたがいい、そうオファーをくれた。

 

 

自分が何を撮れていて

何を求められているか分からないまま

ずっと3年半も歩んで来たけれど

 

今回のことで何となくしっしぃが

私に求めてくれたこと

そして今まで私の写真を「好きだ」

と言ってくれた人達の理由が分かった気がした。

 

 

本当に私の写真が好きでいてくれていた人達は

わたしの写真に「一般的な美しさ」

なんて最初から求めていなかったんだ。

 

 

それよりも私が撮る

表情豊かで生き生きとした

「普段の自分の良さ」をそのまま写して欲しくて

わざわざ私を選んでいてくれていたのか。

 

私が大事にしている想いや信念を

大事にしてくれている人たちだったのか…

 

そう思ったら一気に感謝が押し寄せて

勢いでしっしぃに

 

「ねえそういうこと!!?」

と聞いてみたところ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そやで?

誰もみんちゃんに美しさなんて

求めてへんで?

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(ニコッ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言い方!!!!(笑)

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 おっちょっwwwwwしっしぃ、言い方!!いやそうだけど、そうなんだけどもっと言い方、言い方あるやろがい!!!そうだよね、私に誰も芸術点も技術点も求めてなかったよね!!それ求めたらよそに行くしね!!wwwそれでもいいよ、それでもいいから撮って欲しいよ、あなたの写真が好きだよって言い続けてくれた人、本当にいっぱいいるもんね!はい、さーせんしたー!!中澤、今やっと意味が分かりましたー!好きだよとかそういうの、お世辞じゃなくて本当に言ってくれていたんですね!!りょ!!今りょナウ!!受け取ります!!

 

 

 

 

 

私的には求められているものがやっとわかり

「やっと分かったぁぁぁ!!」

という喜びに打ち震えていたのですが

 

これを周りの友人たちに勢い余って言い廻ったら

なんていうか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

総ギレ?

みんなすげぇキレてた(笑)

 (実際は笑えないレベル)

 

 

 「いやいや、前から言ってるよね?」

「そうですかー伝わってませんでしたかー」

「何を言われるかじゃなく誰に言われるかだねぇ」

「ごめんね、伝わる言葉で表現出来なくて」

 

 

みたいな感じで、

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルってなり

結局、頭を下げまくる結果となった。

 

 

開き直るわけでは決してないけれど

それくらい、自分の才能や特技って

自分から見たら地味でパッとしないものだ。

 

 

 

才能や特技は「こん棒」

 

思い返してみれば、たまにプロカメラマンの方々と

一緒に仕事をする時

 

「その表情の引き出し方はマネできない」

 

とよく言われて来た。

でも私にとってはそれは当たり前のことだから

「むしろそれしかない」自分が恥ずかしかった。

 

他のカメラマンさんたちの洗練された写真を

見るたびに、自分の写真ががしょぼすぎて

恥ずかしかった。

 

例えるなら他の方のセンスの良さや

技術の高さは私から見たら

エクスカリバーとか、勇者の剣とか

もうそういう最強の武器に見えていた。

 

でも自分はそんなに全てのフィールド相手に

戦えるようなハイスペックな武器は持っておらず

唯一の武器が「いい表情を撮る」だけだった。

 

こん棒やん…

最初の村出た時の装備やん。

わしの武器、こん棒くらいしょぼい。

 

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そう思って恥ずかしくて

なんとかせめて鋼の剣くらいは手に入れたくて

色々頑張ってみたのだけど

 

なんかずっとこん棒以外武器が手に入らない。

 

こん棒だけでどうやって生き抜けと!!?

こん棒じゃ倒せない敵もいるんだよ!?

そんなところに行ったらすぐ死んじゃうよ!!?

 

 

とはいえ、こん棒しか手元にないから

こん棒片手にガンガン突き進む。

やっぱりこん棒だけじゃどうにもならず

瀕死になることもしばしば。

 

 

そんなことを繰り返し

心身共に満身創痍になり

ある日ふと「もう旅を辞める」とつぶやいて

最初の村に引きこもることを決めた。

 

 

こん棒で私が一生懸命戦う必要なんてない。

だって世の中には美しい剣や素晴らしい槍

すぐれた防具や魔法を使える人が

沢山いるんだもの。

 

そんな中にこん棒の私がわざわざ

戦いを挑まなくても

世界は救われるし、世界は回る。

 

私がいなければ、いないで

みんな他の人を頼るようになるだろう。

何も不足はない。

私がいなくても、世界は回る。

 

 

・・・

 

 

そしてしばらく村でのんびり過ごし

それはそれで平和で

体も楽で、心も揺さぶられることもなく

穏やかな日々を過ごしていた。

 

 

するとある日遠い街に住む友人から

「もっかいこん棒振り回さへんか」

と声がかかる。

 

 

こん棒で何とかなる戦いなら

最後に1回くらい

ちゃんとやって幕を引くのも悪くない。

それに遠くの友人に久々に会えることも

自分を必要としてくれたことも

やっぱりどこかで嬉しかった。

 

 

 

 

久々に対峙した世界は

以前と何も変わっていなかった。

 

 

相変わらずハイスペックな武器で

世界を股にかける凄腕剣士は存在し

技巧派の職人は武器の鍛錬に精を出し

わたしは相変わらずこん棒をぶん回した。

 

ただ、以前と違うのは

こん棒をぶん回すことが楽しかった。

 

相変わらずこん棒はこん棒で

叩くという動作しか出来ない。

なんて不器用で地味な武器。

それも変わらないのに

 

 

「その武器でいいから戦ってください」

「ああ、助かったありがとう」

「やっぱりあなたに頼んでよかった」

 

 

そう言われた言葉が

耳から胸に入り、ふと腹に落ちて行った。

 

 

これでいいんだ。

なんだ、こん棒でいいんじゃん。

こん棒をぶん回すことしかできないけど

 

私にはこのこん棒がある。

そしてこれで、今まで色んな人の

役に立つことが出来てきたじゃないか。

 

もちろん、こん棒だけでは戦えない

フィールドもある。

 

だったらそのフィールドで

戦わなければいい。

 

こん棒で戦えるフィールドは「ある」

 

 

もしかするとかなり狭いかも知れない。

そしてあの剣士たちのように

派手な活躍は出来ないかも知れない。

 

 

でもそれでいい。

こん棒で戦える範囲で

そしてその戦いを必要としてくれる人がいて

 

なおかつ私が力になりたいと思った人の所にだけ

こん棒担いで出向けばいい。

 

そうすれば寿命を削らず

お互いに喜び合える。

 

 

なんだそういうことだったのか。

これでいいんだ。

 

こん棒がある。

これが私の最強の武器。

 

 

 

 

 

最後に

才能や特技って人のものは良く見えて

自分には何もないように見えたり

なんかしょぼく見えたりするけれど

 

人から「それだよ」と言われているものを

「えーそんなの普通だよ」と言わずに

一回そうなのかこれが自分の武器なのかと

自分が自分の武器を認識し、愛でられるようになるまで

ひたすら受け入れ、ぶん回したらいいと思う。

 

そして何より大事なのは

「自分の武器が使用できる適正フィールドの把握」

「自分が擦り減らない戦い方」

これに尽きる。

 

 

私はいままで

「多くの人に求められなきゃ価値がない」

と思っていた。

だから拡大を目指して、潰れて行った。

 

でも今はもう一度

心の底から「カメラが欲しい」

そう思う。

 

 

私が写真を撮り続ける限りは

本当に少ない需要だけれど

必ず「来て」と言ってくれる人が

今はまだいるから。

 

それが好きな人なら尚更

力になりたいし、会いに行きたいし

仕事になったら嬉しいし。

 

フィールドが「ある」うちは

カメラを持っておこうと思った。

例え年に1回くらいしかオファーがこなくても

それでもいいと思った。

 

その時のためだけに

カメラを持っておく

 

 

そういう自分が嫌いじゃない。

 

 

 

もっかいやろう。

そう決めた大阪でした。

 

 

今すぐにカメラを用意は出来ないのですが

中澤に撮って欲しい方で

カメラが用意できる方は一声かけてください。

 

また、カメラが正式に手に入ったら

新しいカタチでまた撮影を再開したいと思います。

 

カメラ資金分のお仕事ください(笑)

(ほんと、中澤にこんな仕事頼んでみたい!と思っている方がいたらご一報ください。

お話し伺いたいです!)

 

応援してくださったら本当に嬉しいです。

何卒宜しくお願いいたします!

 

 

それでは本日はここまで!

最後までお読みくださって有難うございました!