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ナカザワの頭と心を大公開。魂ぶるぶる言わせたろか

自分を明け渡してしまわないために

先日二回にわたって、方位取りと幸不幸の関係を書いて行く中で、どうしてこれを書こうかと思うに至ったかを書いていなかったことに気が付いた。

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気学に限らず、私が何かを学ぶ時って、必ず「疑い」を持ってしまう。それはホンマか?と。もうこれは気が付いたらこうなっていたからしょうがないけど、全ての教えに対して、自分が納得する解釈が得られないうちは、鵜呑みには出来ない。

 

 

で、気学を学び始めてから一番驚いたのが、教えを鵜呑みにして方位をバンバン取りまくりながら、愚痴を吐きまくり、環境を呪い、人を呪い、自分の不運を呪い、その一方で「方位のおかげでいいことが起きた!」と一喜一憂する人々がすごく多いことを知ったことだった。

 

 

正直、見ていて不快…を通り越して嫌悪に近かったし、なんというか「怖かった」が正しい感覚かも知れない。そういう人を見るたびに、虚しかったし、怖かった。

 

神仏に縋りつくほどに

弱い心も

願いはすれど、行動はしない

怠慢も

 

 

私にはとても怖かった。それは私の心の中にも確実に存在し、その大きさにいつも飲み込まれて堕ちてしまいそうで、そして堕ちてしまったらもう二度と自分の足では立てなくなってしまいそうで、とても怖かった。

 

簡単に言えば、依存してズブズブに溺れて主体性を無くし、目を輝かせながら自分が心酔したものを正しいものだと信じて疑わないような人間になりたくないと思った。そして自分の中にそういう素質があることをよく分かっていた。

 

 

そういう生き方を否定しているわけではない。楽で楽しくていいなと思うことも何度もあった。自分の頭で考えず、信じた何かや誰かの言葉をそのまま自分にインストールして人生を生きるというのは、楽かも知れないし、苦労がないのかも知れないと思った。

 

 

でもそうなりたくない自分がいた。与えられたものを鵜呑みにするのではなく、その解釈の構造を知り、自分が理解し腑に落ちるまでは、自分の中でその学びを採用したくない頑固さがあった。要は、自分でなんでも考え・体験し、腑に落としたいのだ。

 

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占いやスピリチュアルなものって確かに人間の本質を突いてくる。人類が大昔から用いてきたものだから、やっぱりすごいパワフルで、叡智は確かに詰まっているのだけど、その運用方法がとても難しいなと思い続けて来た。

 

まず、それらを受ける者は、叡智こそ正しいと思ってしまいがち。そうするとそれに迎合してしまい、言われたこと通りに生きていれば自分は幸せになれる、失敗しないで成功できると思い込んでしまったりする。

 

 

恥ずかしながら、わたしもそう思ってしまった時期があった。その時期ってなんだかフワフワしていて、いつもキラキラことした事言っちゃってるのに、現実はひとつも動いていなくてそれがとても気持ち悪かった。現実逃避してしまっているのは、自分が一番よく分かっているから苦しくて仕方がなかった。

 

そしてこれも問題だと思ったのが、占いやスピリチュアルなセッションをする人が「自分の言うとおりにすれば幸せになれる」と信じ込んでしまって、強い言い方で出てしまうことも、依存心を助長させるなぁと思った。

 

その人が選んだ占いの類や、スピリチュアルな教えは確かに叡智の塊だけど、それはその「学問が素晴らしい」のであって、それを扱えるからと言って、その人自体が素晴らしいわけではない。ここをしっかりわきまえないと、人の運勢を見られる・未来や心を見られるということをまるで自分の能力のように思ってしまい、高慢さが生まれる。もちろん、自戒を込めて書いている。

 

 

ではどうしたら、叡智の配下につくのではなく、叡智と横の関係にいられ、お互いの主体性を尊重しながらお付き合いをすることが出来るのか?そういうことがここ8年くらいは自分の研究課題でもあった。

 

それでこんな記事たちを書いた。

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やっぱり誰に何を言われても、そしてそれがいわゆる「成功」に導かれていそうでも、それが自分にとって納得感があり、本当にやりたいと思う事でなければ、その成功になんの意味もない。

 

だから占いやスピリチュアルで言われたことが全てではないよ、全部当て馬だよ。それを聞いて「あなたはどうしたい?」という本心をあぶり出すためにあるんだよ、という解釈を編み出した。自分を明け渡してしまわないために。(もちろん自分の決断を後押したり、思っていた事と合致した鑑定内容は大いに勇気に変えて欲しい)

 

私にとってその解釈が一番しっくり来た。運命学をどうにかして一生懸命自分の選択で生きる全ての人への応援やアシストにするためには、この解釈が一番いい、そう思って導き出した私の哲学だ。

 

 

優しく在りたいと思う。

生きる全ての人に、自分自身に。