大昔なんですけど、ある人の相談に乗っていた時に「第一志望の企業に内定を貰ったのだけど、そのことを占いの人に伝えたら『勤務先がすごく悪い方角だからきっとすごく大変なことになるに違いない』って言われて、怖くなったから内定辞退したことがあるんだよね」という話をされたことがあった。
たぶん、気学家に相談したのだと思う。ちなみに気学ってなに?って感じだと思うけど、気学って日本生まれの運命学で、生年月日から9個のグループに分けて、その人の先天的に持って生まれた性質や運勢を伝えるだけではなく、運気が上がる方角、運気が下がる方角を取る・避けることによって、先天性の運でまかないきれない部分を後天的に補って行けまっせ、という特性から「動の運命学」と呼ばれているものなんですよ。(超ザックリな説明だけどね)
で、私生まれてこの方、何度も占い師にスカウトされて来たんですよ。四柱推命・算命学・易学・手相とか東洋占い方面から。「あんた絶対こっちの世界むいてるから勉強しなさい!」と。
あまり無いじゃないですか、何度も占い師にスカウトされるって。だから何か先天的に向いているものがあるのかなぁと思って、2011年にふと「次スカウトされた占いを学んでみよう」って本当に「ふと」思ったんですよ。そしたらその半年後くらいに気学の先生にお声がけ頂いて学び始めたという経緯なのですが
学び始めて、気学と言うものが良い方角を取る…(吉方位取りとか祐気撰用・お水取りとか、流派によって色んな言い方がありますが、だいたいどれも一緒)ことによって運気を上げることがウリだということを初めて知ったんですよ。へー!自分に合った方角に行けば運が上がって願いが叶うとかすごーい!!!
すごーい胡散臭い!!!!
んなわけねーだろ!!!
人生と運命は自分で切り開くんだよ!
なんやこの胡散臭い学問!!
エビデンスどこにあんねん!
絶対に論破してやる!!!!
っていう最初からオラついたスタンスで学び始めました。納得がいかなかったんですよ。方角だけで運の良し悪しが変わるとか。そんなこと言ったら、いつも方角を気にして生きて行かなきゃいけないじゃん。なんだか方角に縛られて人生の行動を制限されることに納得がいかなかったんですよね。
それに方位を取ったからって、運が良くなったってすごく証明が難しくないですか?仮に方位取りをした後に、良いことが起きたとしても、それが方位のおかげだという証明が出来ないじゃんと。だったら、自分が方位を取りまくって、その後に起きた出来事と照合して検証していくしかないなーと思ったんで、先生についていた3年間は毎日方位を取り、日記をつけ、検証を続けました。
どこの流派にも自分が納得するような答えが無かったから、これはもう自分独自の答えを導くしかないなぁと。そんな研究をしていたら8年経っちゃいました。
方位よりも大事なこと
話を一番最初に戻します。
「第一志望の就職先の方位が悪かったから内定を蹴った」という話。これを聞いた時、わたしは「もったいないなぁ」と思ったんですよ。
確かに悪い方位の作用と思われるものはなかなか強烈だなという人体実験の自己体験の結果、それはそう思うのですが、第一志望だったところに内定もらうのだって相当努力しただろうに、その努力した自分の頑張りをたかだか方位のためにポイしちゃったのは本当にもったいないって思ったんです。
だって止まない雨が無いように、凶作用なんてそんなに長く続かないもの。ある人は5年で抜ける、11年で抜けるって言いますが、私的には3年もあれば十分抜けるって思ったし、しかもその3年が不幸だったかと言えば決してそんなことはなかったんですよ。
確かに、しんどい思いはするけど、「必要悪」だったなって思うんです。しんどい思いをしなきゃいけない時って、人生においてあると思うんですよ。それは根性を養うためとかそういうものじゃなくて、しんどい思いをしないと気が付けないこと、学べないことってあるんですよね。
で、その時に得た学びがあるからこそ、自分の高慢さや過信に気が付いて、自分のプライドをそぎ落として、周りに感謝できるようになったり、自分の生活習慣を振り返るきっかけになったり、自分の本心に気が付いたり、その時苦しみの中で掴んだ技術や知識知恵が、生涯の宝になったりとか、もうねパンドラの箱かよ!っていうくらいめちゃくちゃすごいものが詰まっているんです。
だからって自らわざわざ取りに行く必要もないのだけど、もし、自分が何気なく選んだ旅先や引っ越し先、勤務先がいわゆる凶方位というものだったとしたら、それはあなたが自分で選んだってことなんですよ。
「自分で選んだってことは運が悪いから選んだってこと?」って思ったかも知れませんが、そういうことじゃなくて、「潜在的に自分を変えたいから、あえて荒治療に来た」ということだし、何よりあなたに「乗り越えるだけの強さがある」ってことだと私は結論付けたのです。
あのですね、本当に自分からわざわざ知らずにすごい凶方位に向かう人っているんですよ。最初、その意味が分からなかったのですが、よくよく観察してみると、その人達ってその凶方位を踏んだ後、自分の弱さとか、高慢な部分とかと向き合いまくる事が起きるんですよ。
それこそ、今までの自分のツケを払わされるかのように、えげつない現実が起きて心身ボロボロになる。そうなって初めて、生き方をぐるん!って変えなきゃいけないようになるのですが、これ、本人が望んでやってることなんですよね。
どういうことかと言うと、本人ももう今までの生き方や考え方では人生積んでるって分かっているけど、方向転換出来ない時、わざと凶方位を踏んで、自分から変わるきっかけを作っているんですよね。
今までの生き方では、自分の体がもたないって人も強制終了するために、あえてガツンと体調不良になる方位を踏んで、そのあとしっかり寝込んで生き方を変えたり…なんかもうこういう方たちを見ていると本当に魂が震えるんですよね。
人間ってかっこいいなぁって思わずにはいられないし、潜在意識って万能かよと思わされる。凶方位行くときは、無意識で選んでるんですよ。あとで凶方位を取って、一皮むけた人に「なんであそこに行こうと思ったの?」って聞くと、皆さん「なんか、行きたい!行かなきゃ!」って思ったって言うんですよね。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、ですよ。
自分から厳しい中に入り、禊(みそぎ)を選択する時点で、もう本当に魂がデカいというか運にも神様にも愛されてるなぁと見ていてしみじみ思います。そうそう、禊のあと、みなさんすごい活躍されますね。というか、社会のために大きな働きを任されている人は、こういう方位の取り方をするなって思う。
だから、第一志望の会社を蹴ってしまっていなかったら、この人今ごろどうなっていたんだろうなぁと思うんですよね。
個人的には、選んだ方位によって幸せが変わることは無いと思うんです。どこで生きるかも大事ですけど、もっと大事なのは選んだ場所でどう生きるか、だから。
ただ、一番問題なのは「方位ごときに自分の人生をくれてやってしまったその思考」だと思っていて。
前もこの記事に書いたけど
占いとか、自分にとって影響力がある人なんて所詮、「本当は自分はどうしたのだろう?」をあぶりだすための「当て馬」として、あなたの人生に登場しているだけですからね。(まーだから当て馬役をわざわざ買って出てくれた方には感謝ですよね)
その人や、その人の言うことが自分を導くわけじゃないんですよ。人生の主導権は自分、舵を取るのも自分。ぜーんぶ自分。だから自分がどう思ったか以上に大事なことなんてないんですよね。
方位が悪いって言われたから辞めた、んじゃなくて、様々な厄災が降ろうともその道を選ぶほど、自分には情熱もやる気も勇気も覚悟も無かった、ということを自分でしっかり見つめられたらいいですよね。方位が悪いんじゃなくて、自分の問題。
でも情熱がないのも、勇気も覚悟も無いのも、悪いことじゃないじゃないですか。その時は「無かっただけ」で。
だからそうやってちゃんと振り返れたら、次のちょっと怖いチャレンジの時にまた選べますよね。乗るか、反るか。自分はどんな人間になりたいのか、どんな人生を送りたいのか。そのためにこのチャレンジは必要か、不要か。
だからあんまり、凶方位を恐れないで欲しいなぁと思うんです。取る時はちゃんと理由があるし、死ぬほど苦しくても自分の人生諦めなければ、命までは取られないから。(まあ文献によっては命を落とす事例もあったのですが、そこまで行くと寿命かなとも思う)
だからどんな時も僕が僕らしくあるために、好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたいっていう槇原魂を大事に生きて欲しいんですよ。
自分の願いが、想いの強さが
意志が、覚悟が
望みが、ワクワクが
喜びが
人生をつくるはんで!!!!
だから方位にそんなに敏感になりなさんな。っていうことを書きたかったのだろうけど、ここまで読んでお気づきだろうか?
今日のタイトルは
「良い方位に行くと本当にいいことあるのか問題」
一つも触れてないことに今気づいたわ?
というわけで、今回は凶方位取ると不幸になるのか問題を書いてしまったので、次回は吉方位を取ると本当にいいことあるのか問題について、研究結果を発表していきたいと思います。タイトルは変えない!!
ではまた~!!
☆追記☆
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