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ナカザワの頭と心を大公開。魂ぶるぶる言わせたろか

自己価値とか自己肯定感とか

なんだか昔…といっても昨年くらいまで、夕日を見るたびに胸が苦しくなっていた。ああ、今日も終わってしまう、今日自分は未来につながる何かが出来ただろうか、もっと頑張らなきゃいけないのに…そんなことを思っては胸が苦しくなり、いつも真綿で首をしめられているような息苦しさを抱えながら、毎日・毎月・毎年を重ねるように生きて来た。

 

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でも最近、夕日を見てもその息苦しさを感じない自分に気が付いた。未来につながる何かが出来ても、出来なくても、お金が稼げても稼げなくても、朝からバリバリ行動できても、一日中寝ていても、どんな日でも夕日がきれいだなで終わる自分に驚いた。嗚呼、いつの間にか生きやすくなったのだと気が付いた。

 

 

以前はどうしたらこの首に絡まる真綿をほどくことが出来るのか、そればかりを考えていた。この生きる苦しみはどこからやってきて、そしてどうすれば無くなるのか。人生の関心のすべてはそこにあったように思うし、真綿をほどくためだけに生きて来た嫌いさえある。

 

もし、ほどけて、一瞬でもいい。苦しみがなく呼吸をすることが出来たなら、その瞬間に命を落としても構わないと思っていた。その瞬間を迎えるまでは、死ねないと思った。苦しみだけを味わうために生まれてきたのなら、人生とは一体なんだったのだろうと、全てを呪わなければならなくなる。それはあまりにも悲しい。自分の人生をただ苦しいものだけにしたくなかったし、わたしという人間に喜びや安らぎ、そういった人として当たり前のような幸せを体験させてあげたかった。

 

 

それまでは死ねない。

でもそれが分かれば死んでもいい。

それ以上に望むものなど無いのだから。

 

 

だから沢山の勉強をした。生きづらさは親との愛着関係が由来だと言われたら、愛着障害の勉強やそこから派生する各種パーソナリティー障害、そこから派生する精神疾患各種の勉強、およびその治療法の数々をほとんど独学で勉強し、実践した。ゲシュタルト療法、ブリーフセラピー、認知行動療法、弁証法的行動療法、各種インナーチャイルドワークから、ホ・オポノポノ、様々なカウンセリング手法・セラピー手法・コーチング、スピリチュアルセッションや各種占い・タッピングやボディワーク…

 

 

学んでは実践し、良くなったり、認知が変わったり、毎年少しずつ生きやすくなってきたが、どれもわたしの中では「かすっている」感じだった。全て少しずつちゃんと効く。でも改善や全快には至らない。真綿が首からほどけるまでには至らなかった。

 

 

ここまでやって、こんなにお金をかけて、歳月をかけても、ダメなのかと絶望という圧倒されるような感情に飲まれて衝動的に死にたくなる日も何遍もあった。死にたい感情に飲まれそうになるたびに、まだ、まだどこかに私がやっていない手法があるはずだ、そう思ったし、もしかするとこれだけやっても結局根本が変わらないのなら、もう私が求めるようなものは手に入らないのではないのだろうか?そう思う2つの想いの間で潰されそうになりながら、生きながらえることで精いっぱいだった。

 

 

あれだけ頑張って「何かをすれば」「認知を変えれば」現実が変わるのだ、生きづらさの根本原因を突き止め、人生に安らぎを得ることが出来るのだと信じて疑わず、行動することを辞めなかったのに、今振り返れば最後の一手は意外なところにあったように思う。

 

嫌なことを全てやめて、怖いことを全てやるということだった。

 

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お金になるけど、心が喜ばない仕事を辞めた。

恩はあるけれど、心が離れてしまった方々から離れた。

無理をして付き合っていた全ての人間関係を捨てた。

不快な時は、ちゃんと不快を伝えることにした。

人の機嫌を取らないようにした。

代わりに自分の機嫌をたくさん取るようにした。

頑張らなきゃいけないを捨てて

休むことを選んだ。

好かれようといい顔をするのを辞めた。

嫌われる勇気を振り絞った。

 

これらを

 

何かを得るためにやらなかった。

 

そんな計算も希望も捨てて

自分に正直に生きることだけに注力した。

 

その結果、全てを失っても

構わないという覚悟だけはあった。

 

仕事がうまく行かなくなってもいい

一人になってもいい

稼げない自分になってもいい

日の目を浴びず

このまま死んでも構わない

 

 

たった一瞬でいいから

自分を楽にしてあげたかった。

人生でそんな瞬間を自分に与えたことはなかったから。

 

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そうやって暮らし始めたら、いつの間にか息が苦しくなくなっていた。夕日を見てざわざわすることも、稼げない自分に価値がないとか、このままじゃだめだと思うこともなくなった。ただ、生きている。心臓が動いているうちは、自分一人くらい食わしてやらんとなぁとのんびり考えているが、気負いはない。なんとかなるし、なんとかするでしょうと思っている。

 

 

生きづらい場合、何かをすることよりも、今嫌だったり今自分を苦しめる全てのことを辞めてみるという、足し算より引き算の方が遥かに効く。どうしてそんな簡単なことが出来なかったと言えば、辞める方が私にとっては怖いことばかりだったから。

 

辞めたら、性格悪いのがバレる。

辞めたら、バカになる。

辞めたら、怠けものになる。

辞めたら、価値がなくなる。

 

そう思い込んでいたものが、辞めてみたらそんなことは無かったと思い知った。性格が悪いのも、バカなのも、怠けものなのも「知ってたよ」と言われたし、価値は変わらなかった。

 

 

「どんな自分にも価値がある」

「生きているだけであなたは価値がある」

 

 

その言葉は私を勇気づけなかった。でも自分で勝ちえた「人生を生きることには価値があるな」という感覚は自分を勇気づけた。そして自分自身に価値があるか、ないか、ということにこだわらなくなった。価値がある時もあるし、無い時もある。それは自分がどこに身を置くかによって、外的価値は変動するからそういうものだと思った。そして内的価値で言えば、生きているだけで素晴らしい時もあれば、生きているだけで迷惑をかけることもある。みんなそうだと思う。だから自己価値にこだわらなくなった。人生には生きる価値がある。それだけで十分だった。

 


真綿が溶けた首は、息がとても楽にできて穏やかだ。この瞬間が手に入れば死んでもいいと思ったけど、そのくらいでは人間は死なないらしく、今も生きている。

 

日の目を見なくてもいいと思ったのに、楽になったらどうやって叶えるか分からないくらい、足がガクブルする大きな夢が湧いてきた。こんなこと自分が願っていいのだろうか?と思ったが、やれたら楽しすぎるっと思い、身近な人3人に言うことから始めた。その夢は自分の人生に一貫性を持たすようなものだった。

 

 

ああ怖いなと思う。夢があったら生きる活力が湧いてきて、ガンガン行動できると思っていたけど嘘。めっちゃどんよりしてここ2日間眠くて仕方がない。めんどくせぇなーやることいっぱいだよー、死ねねぇじゃん、いつ死ぬんだよこのスケジュールぅーやり切るまでに何年かかるんだよーと首から上は文句ばっかり言っているけれど、体は準備に入っている感じ。いっぱい寝て、整えているのが分かる。だから寝る。寝ながら頭を整理する。今日はバターチキンカレーが食べたくて近所のインドカレー屋さんに買いに行ったらアイスティーをサービスしてくれた。いい日だ。食べたいものを食べて、寝て今に至る。

 

 

この前友人に自分で言った「今が一番生きることに希望を持っている」という言葉に嘘はない。捨てたら入ってくるは本当だけど、入ってくることを望んで捨てるくらいのものは、おそらく大したことがない。それは捨てられないと思うものを捨てる。まさか自分が夢やビジョンを持つ日が来るとは思わなかった。

 

だから自分が何がしたいかわからないとか、夢やビジョンが描けないという人は、一度嫌なことを辞めることをおすすめしたい。それやったら死ぬんじゃないかと思うレベルの辞められないことを辞めてみたらいいと思う。その先に、新しい何かが待っている場合が多い。

 

もしかすると、「夢やビジョンが自分にはない」という事実が分かる場合もあるが、その先にとんでもないパワフルな展開が待っている場合もあり、現にそういう人を身近に見ているので辞めるってすごいって本当に思う。

 

 

Do something different

 

うまく行っていないなら、なんでもいいから違うことをせよ。なんてパワフルな言葉なんだろう。今年ほどこの言葉の深みを体感した年はない。

 

勇気は使わないと、錆びて使えなくなっちゃうからね。

いつでも絞り出してこれからも生きていきたい。

 

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