お盆帰省で久々に高校時代の友人が地元に帰って来たので、飲みに行ってきた。と言っても、わたしは飲めないし、彼女も昔は酒豪だったが加齢のせいか、1杯しか飲まなかったし、酒の肴は冷ややっことバンバンジーとサバの塩焼きだしで、なんかもう色々歳を取ったなと思った。
出会って23年経つ。わたしはこのブログでこじれた人生をカミングアウトしているので、もうその通りなのだが、一方彼女は高校生の頃から志した仕事のために短大へ行き、資格を取り、就職をし、結婚に伴い名古屋へ行き、子供を3人産み、育てながらその職を今も貫いている。
もう本当に真逆の人生だといつも思う。何歳になっても安定とは無縁のわたしと、抜群の安定感の彼女。感情の起伏がいと激しいわたしと、怒っているところを見たことが無い彼女。泣いているところだって1度しか見たことがない。我慢とは無縁のわたしと、我慢強い彼女。末子のわたしと、長女の彼女。
全てが真逆にも関わらず、高校の頃から変わらず一緒にいるのはおそらくお互いにとって、お互いが心地よいからなのと、単純に一緒にいて楽しいからだと思う。
わたしには無い真面目さを持つ彼女を、若い頃は自己主張がないなと感じることもあったが、大人になるにつれて私の中で彼女の評価はどんどん変わっていった。
まず、抜群の安定した愛着スタイルを持っているので、どんなことに対しても悲観しすぎたり、不安になったりせず「起きてしまったことはしょうがない。さて、ここからどうするかだな」と当たり前のように考えることが出来る思考回路は本当に見ていてすごいなとしか言いようがない。
あと人の悪口というものをほとんど聞いたことがない。「この人に困っている」くらいのことは言っても「嫌いだわ」と言ったことは23年で一度もなかった気がする。私ときたらブログで散々人に対してハラタツノリを連発しているのに、本当に恥ずかしくなる。
人を嫌いになったりしないの?と前に聞いたことがある。
その時彼女は
「いや、思うことはあるよ。でもその人はその人じゃん。しょうがないよね」
と言った。「なんでや!?なんでそんな仙人みたいなこと言えるんや!?あれか!頭長いからか!!仙骨持ってるから、そんな達観したこと言えるんか!!」と詰め寄ったが笑っているだけだった。
10代20代の時はその達観ぶりが、絶対嘘。絶対我慢してるはず。もしくは人に興味がないんだなこいつ。くらいに思っていたのだが、30代になり、そうじゃなくて本当に言葉のままのことを思っているのだなと理解し、関心した。
彼女は人を変えようとは決してしないのだ。
そして人になにも期待していない。
人に対して期待をするから、裏切られた時に腹が立つ。なんで分かってくれないの?とかどうしてそんなことをするの?と、人にいちいち腹を立てる人は人に期待しすぎているのだ。相手はもともと分からない人で、そんなことをする人であったというだけなのに。
彼女はその人のそのままを見て、それを受け入れる。そしてその人に対して適切な対応をしていく。息をするように、当たり前のように。
ああ、そういう人なのだと分かった時に、すごい人だなと純粋に尊敬した。この抜群の安定感があったからこそ、23年もわたしと居ることが出来たのだろうと思うと、感謝しかない。
思えば彼女はわたしに「最近、男関係はどうなのよ?」的なことや「彼氏は出来た?」「結婚はしないの?」「子供を産む気はないの?」とかそういう話題を一切振ってこなかった。
気を使っているのか、興味がないのかは分からないが、正直わたしはそれが本当に有難かった。38年も独身でいれば、上記のような言葉に被弾する回数は数え切れない。笑って答えたりするし、「なんにもないんです~!」とお道化てレスポンスしてきたが、内心傷ついてはいた。最近は結婚していないだけで、同性愛を疑われたりしたこともあり、なんとも言葉にならない憤りを味わうことも多々あった。
劣等感がないわけがない。
子供を産める機能を有して生まれてきたのに
もしかするとこのまま産まないかも知れない己が人生に
罪悪感がないわけがないだろう。
焦燥感がないわけがないだろう。
わたしだっていっちょ前に、親に孫を抱かせてあげるような親孝行は出来ないのかなと思うと、胸だってチクッと痛くなることもある。自分で選んでこの結果になっている人生で、そして私の人生だからどう生きたっていいと思っているけれど、やっぱりどこかで罪悪感のようなものがあるし、社会の平均や一般とはズレた生き方をしていることに、劣等感や焦燥感がないと言えば嘘になる。
いつだったか、彼女に
「私なんてこんな年になっても結婚もせず、子供もおらず、定職も持たずで…情けない」
そんなことを言ったら、今までで一番はっきりと強く
「関係ないよ」
「人それぞれじゃん」
そう言った。
今だから言えるけど、あの時の言葉がすごくすごく嬉しくて、有難くて、優しく染みわたって、涙が出そうになっていたのを必死にこらえていたんだ。その言葉によって、自分が今までどれだけ傷つき、気にしてきたのかを思い知らされた。そして、その言葉によって、全てどうでもよくなった。誰に言われようと、人それぞれの人生がある。ただそれだけだ。
そのおおらかさに、どれだけ救われてきたのだろう。最近はそんなことを思う。
23年あれば人生いろいろある。セーラー服の襟を風になびかせながら、一緒に自転車をこいでいた高校生が、社会に出てそれぞれの環境で色々なことにぶつかって、感情を揺さぶられて来た。彼女だって無傷ではなく、体を張って頑張って潜り抜けた局面が何度もあった。最近はお互い会うと、体が痛いという話が7割を占めている。ほとんど綾小路きみまろの世界である。お互いのババア加減をネタにして笑いあう。
それぞれの人生がある。
優劣はあるようで、無く
いつだって禍福は糾える縄の如しで
それだけはみな平等である。
そんな中で出会って
失敗すら笑い飛ばせる人がいるというのは
なんと幸運なことなのだろうと
しみじみ思う。
また会える時も笑い合えるように
それまで頑張ろう。