ナカザワメグミ ドットコム

ナカザワの頭と心を大公開。魂ぶるぶる言わせたろか

寂しさと共にあれ

誰かとの関係が終わる時、または自分の中で整理が出来て終わりを迎える時、わたしは必ずその人の夢を見る。夢の中でなんのわだかまりもなく笑って、朗らかに今までありがとうも、さよならも言わずに、そういう雰囲気を抱えてお互い別の道を行く。そんな夢を必ず見た時、自分の中でひとつの関係が終わる。今朝はそんな夢を見た。

 

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こんな時、いつも谷川俊太郎の『さようなら』を思い出す。

 

ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない


どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
おおどおりをしんごうでわたって
いつもながめてるやまをめじるしに


ひとりでいかなきゃなんない
どうしてなのかしらないけど


おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて


ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう


よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする


そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる


だからとおくにいてもさびしくないよ
ぼくもういかなきゃなんない

 

 ぼくもういかなきゃなんないかー…と起き掛けにちょっと寂しくなった。人によっては「夢ごときで」と思うかも知れないけれど、夢ほど素直に自分のすべてが現れるものもないので、そういう夢を見たら大事にすることにしている。

 

 

寂しさというものの取り扱いにはいつも注意している。寂しい時ほど自分軸がズレそうになることは無いから。寂しいから誰かと話したい、そういう思いが湧いて出た時ほど一人でいることにしている。寂しさとは、誰かで埋めようとするほど、むなしい時間を過ごすことになるからだ。

 

 

たぶん、どんな時でも意義ある会話・シナジーが生まれる会話以外は、虚しくなってしまうタチだから、寂しい上に虚しくなったら大ケガなので、感情に流されないように留意する。

 

誰かといても寂しい時は、一人でいたい。

 

寂しい時は泣くとスッキリする。普段映画なんて見ないけど、泣ける映画でも見て心を整えようかなと思っていたら、今日はテレビで『号泣甲子園』という打ってつけの番組がやっていて、それを見ながら本当に号泣した。

 

 

球児一人一人にドラマがあり、甲子園に行けても、行けなくても、そこを目指して3年間どころか、今までの人生を全て野球につぎ込んで来た若者の想いと行動に触れるだけで、その尊さに涙をし、わたしは彼らほど一日一日を全力で生きているかと問うて、また涙が出た。余裕で出来てない。痩せたいって言いながらめっちゃアイス食ってる自分を恥じた。

 

 

人は、感情の整理がつかない時に泣く。

 

まだ言葉として生まれる前の「言葉にならない感情」がぐるぐるしている時、それを整理・消化したくて人は泣くのだと思う。

 

「泣く」で好きなエピソードがある。日本人で唯一8000M峰 全14座標を登頂している登山家の竹内洋岳さんの話だ。

 

 竹内さんは2007年にガッシャブルムⅡのアタック中、雪崩に遭い、医者からも再起不能と言われるほどの大怪我を負った。同時に、一緒に登頂していた二人の仲間の命をこの時に失った。その後過酷なリハビリを経て、異常な回復力を見せ、翌年同峰に再チャレンジしてアタックを成功させる。その時山頂で涙が止まらなかったという。

 

 

それは達成感や、喜び、仲間への想いや悲しみ、悔しさ、そういうものではなく、自分でも訳が分からず、ただ涙が出たのだという。その時に『人は感情に決着をつけるためにただ泣くのだ』と語っていて、それから少し泣くことに対しての意識が変わった。

 

 

何かを終わらせるために、泣くときもある。新しく生まれる時、人はいつだって泣いてこの世に現れるのだ。

 

 

言葉にならない感情を涙に変えて。

今までに別れを告げて、これからを生きるために。

 

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