ナカザワメグミ ドットコム

ナカザワの頭と心を大公開。魂ぶるぶる言わせたろか

世界のことが分からないだから

ここ最近、このブログを書いているお陰で面白い人たちから声をかけて頂き、お話をする機会を多く設けられており、感謝感謝である。

 

昨日、「アジェンダを頂けるとシナジーを期待して話してみたくなります」というような記事を書いた。

megumintia.hatenablog.com

 

そしたら朝イチでこの記事に対する感想がDMに届いた。書き出しの冒頭に

 

 

「アジェンダはありませんが」

 

と書いてあり

 

 

 

 

「ねぇのかい!!!!」

 

と朝から声を張り上げてしまった。

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アジェンダするんかと思ったらせえへんのかい!!

不覚にも笑ってしまった。もうこんなん面白くて笑ってしまう。あれだけ「アジェンダプリーズ!!」したにも関わらず、「ノーアジェンダ!!」を切ってくるあたり、かなりの猛者。さすが団塊の世代は違う。マッスルメンタル…!と感心してしまったけど、本来人間同士の営みはこれでいいのだ。

 

 

「わたしはこうして欲しいです」

「わたしはこれが好きです」

 

そう主張するのも自由。

でもそれに

 

「ノーアジェンダ!!!This is me!!!

 

と主張するのも自由なのだ。自分の主張があるように、相手にも主張があり、双方の自由があってしかるべきである。そして折り合いがつかない場合は、「じゃあどうすればいいか?」を話し合えたらいい。双方の関係が我慢せず、上手くいく方法を探せばいい。「ある」と思って探せば「ある」。

 

 

そして私はこうだ!を言ってもらえると、やはり有難いなと思う。相手のことが理解できるし、やはり相手の嫌がることはしたくない。それにしても、こういう不意打ちに本当に弱い、無茶苦茶だけど、憎めないしなんなら好きになる。自己主張が強い人は嫌いじゃない。面白いなと思って、興味が一気にわく。クセの強い人が好きなのである。

 

 

余談だが、「自分って変態でぇ」とか「クセが強くてぇ」という人はだいたいノーマルである(当社調べ)あと「(わたし)高田純次みたいな性格だから」という人は男女共々、大して面白くない。高田純次さんは性格ではなく、キャラだし、笑いと怒りのギリギリのラインを攻めながら、相手を不快にさせない信頼関係をまず築き、礼を尽くしている。めちゃくちゃ高度なことをしているのだ。そんなことも分からず「テキトー」など出来るものか。お前の「テキトー」はただの「雑」だと面と向かって言いたかったけど、言えなかったからこうしてネチネチと陰湿に書いてみる。わたしは弱い。

 

 

話がめっちゃ逸れた。

 

 

そう、「テキトー」の意味は『その場に合わせて要領よくやること』である。かくいう私はそんな器用なことが出来る人間ではない。

 

今回色々ご連絡を頂き、色々な方と話をさせて頂いた時に必ず言われたのが『よくあそこまでブログに書けるね』『自己開示がエグい』『自分は到底、ああいうのは書けない』ということを言われた。

 

 

 

 

いや、私だって書かずに生きていけるなら書かねぇよ。

声を大にして言いたい。

 

 

すごく言われた。

 

 

メルマガをやっているときも、こんな感じの文章を送り付けていたのでよく起業家さんから

 

「お前の文章はターゲットが分からない。誰に向けて書いてるわけ?」

「面白いし、いいこと書いてるけど、ただそれだけじゃん」

「全然、お金にならない文章書いてるよね。商品売る文章書けよ」

 

 

というフィードバックを頂いていた。じゃあ具体的にどういうことを書いたらいいんですか?と聞いてみたら

 

 

「お客様が何に困っていて、自分がどのようなソリューションを持っているか書くんだよ」

 

「お客様が欲しい情報を提供して役に立ってあげなさい」

「お客様の共感ポイントを刺激しなさい」

 

 

そう散々言われ続け、3年一応頑張ってみたのですが、全然だめだった。そもそもお客様が何に困っているか分からないからヒアリングをしてみても「え?そこ悩むこと?」とか思ってしまうことも多いし、私が「きゃー!これめっちゃ可愛い!」と思ったものは世の中で大概「気持ちワルっ!」と言われる。最初は「みんなセンスねぇな」とか「時代がわたしに付いて来ない」と思っていたが

 

 

どうやら違うらしい。わたしの方が世間一般の感覚が分かっていないのだ。私のほうがマイノリティでズレているのだということに気が付いたのが最近である。なるほど、だから私は売れる文章なんて書けないのですね…ものすごく絶望した。

 

 

一生懸命考えても分からないのである。世の中で流行っているモノはいつもど真ん中ストレートでウケる理由は分かるのだ。分かるけど、理解が出来ない。それ面白いのか?可愛いのか?感動するのか?と思ってしまう。わたしにしてみたら一般受けを狙ったものは大概「あざとく」感じる。でも大衆の好みとは常に「分かりやすく、マイルド」である。「みんなこういうのが好きなんだろうな」と思ったものは流行る。でもそこに私のエキサイティングは無い。

 

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未だに永野で大笑いするタイプである

感覚が違い過ぎて、「みんな」が欲しがるものが分からない。「みんな」が求めている方を提供できない。何に困っているか分からない。でも発信しないといけない。そんな感じで頑張って世間に「寄せて」いった。でも元々ズレている人間が、寄せられる訳がないのだ。だって寄せるべき的がどこなのか、良く分かっていないのだから。

 

 

それで大いに困りに困って

 

もういいや。

どうせ狙っても外すんだから

狙わずに好き勝手書こう。

自分が面白ければそれでいいや。

 

 

と吹っ切れて今に至るわけである。

私だって普通の文章が本当は書きたい。でも世界のことが良く分からないから普通が良く分からない。スマートな文章が書きたくて、短大時代あんなに小論文めちゃくちゃ書いて練習したのに、シリアスが続くと文章の中でふざけたくなる衝動が止められず、自分の文章を破壊しまくる、この体たらくである。教授が見たら泣くぜ?マジで。

 

 

で、こういうことしか書けないのならブッチ切って書くしかない。未だに世間のセオリーと反している行為をしているようで、毎回吐きそうになる。だから「こんな文章書けない」という人は書けなくていい。むしろ「書けない方がいい」と言いたい。

 

 

あなたにはちゃんとした感覚があり、人が何を求め、何に悩み、どんな解決方法が必要か提示をしてあげられる事が出来るのだから。そういう人が社会を形成するのだと思う。

 

 

ちなみに。こうして好き勝手書いていて「ここ!ここ笑うポイントやで!」と大張り切りでボケを仕込む時に限って、全然ウケなかったりする。むしろスルーされて、全然違うトラップでもなんでもないところがウケたりする。

 

 

やっぱり世界のことがわからないだから

世界のことを知るために今日も記事を書くのである。