ナカザワメグミ ドットコム

ナカザワの頭と心を大公開。魂ぶるぶる言わせたろか

結局自分がどうしたいのか?しかない

大金はたいて習ったことなのに、しっくりこなかったものってありませんか?

わたしにとって、それはコーチングであったと言わざるを得ない。

 

実際にこれで生計を立てていた頃もあったのだが最近はコーチング単体のセッションは行っていない。今も知識を入れるのは好きだし、エッセンスとしてはフル活用させて頂いてる。でも、センスがなかったように思う、手に余ったのだ。断じて言うが、コーチング自体は非常にいいものである。ただ私には扱いきれなかった。

 

 

なんでもやってみないと分からないことってある。例えそれが、何百万円も投資した学びで、めちゃくちゃ頑張って習得して、たくさんの方に応援も協力もしてもらって、プロ活動をしていたことだとしても、「あかん、好きじゃない、ってか苦手、無理かも」と思ったら左へにポーーン!と投げておいていいのである。

 

 

わたしはコーチングを学び始めた初期から、なぜか「苦しい、苦しい」と言っていた。自分で興味を持って、人生かけて仕事にしたいと思って、お金をかき集めて学んだことだったのに、である。

 

「苦しいのは諦めていない証拠」という言葉を当時頂いた。そうか、私はわたしのコーチになりたいという夢を諦めてないから苦しいんだ!とポジティブに素直に受け取ってがむしゃらに頑張った。そして過労で倒れた。

 

夢を諦めていないから苦しいのかな?本当に望んだ未来に向かって努力する時って、こんなに毎日不安と焦燥感でいっぱいになるのかな?周りのみんなは、もっと楽しそうにしているけど…ああやって楽しみながら、喜びながら進めないわたしって、本当はコーチング好きじゃないのかな?本当はやりたくないことなのかな?

 

正解が分からない、自分の気持ちが分からない。

そんな気持ちを友人に相談した。その時返ってきた言葉は

 

「そんなに苦しいってことは、本当にやりたいってことなんだよ」

 

 

 

 

 

 

絶対に違う!!!(笑)

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そう言われたときに、初めて腹の底から自分の叫び声を聞いた。

自分の気持ちが分からない時は、外に正解を求めているとき。社会の正しさに沿おうとしているとき。社会というよりは、内なる親だろう。自分が作り上げた幻想の内なる親の顔色を窺っているとき、人は自分の気持ちが分からなくなる。

 

 

内なる親が喜びそうな方を選ぶ。

内なる親が褒めてくれそうな方を選ぶ。

内なる親に心配をかけない方を選ぶ。

 

 

 

選択基準が全て親。そうなってしまうと自分の気持ちなんて伝説の魔物かよというレベルで地下の奥深くに封印されてしまう。まずは魔物の封印を解いてあげて欲しい。伝説の魔物はいずれ、伝説の勇者になる。

  

 

自分が感じ、思うことは自分にとっていつも正しい。例え振り返ったあと、過ちに思えても「その時点」では正しかったし、それ以外の選択肢はなかったのだ。自分を許してあげればいい。

過去の自分を許す、に関してはこちらの記事を読んでみてね

 

megumintia.hatenablog.com

 

 

 

そうそう、これは究極の真実を伝授したいのだけど

例えあなたにとって影響力のある人や信頼している人

もしくはコーチ、カウンセラー、占い師があなたに伝えたことを

全て鵜呑みにしない方がいい。

 

 

個人的には特に占いやスピリチュアルなセッションについて。

上記2つは結構簡単に未来を見せてくれるけど、その未来は確かに確率の高い未来の1つではある。でも、未来ってほかにも超いっぱいあるんだよ。

 

 

せいぜい伝えてもらった未来なんて可能性のなかの1,2個だよ?それしかないのではなく、それもあるかもねというレベルの話だし、診断結果に占い師やセッショニストの認知バイアスが全くかかってないとは言い切れないじゃない。

 

 

 

だから大事なのは「それを聞いて自分がどう思ったか」だよと言いたい。

 

 

自分の気持ちを確かめるために、自分の本音を聞くために、目の前の人は現れてくれて、なんか言ってくれているんだと思った方が健康的だ。

 

 

自分の気持ちを後押しするようなことを言われたときは「GO」だし

自分の気持ちや感覚がモヤっとすることを言われたときは「ちゃうで」だよ。

 

コーチであれ、占い師であれ、各セッショニストが腕がいい・悪いじゃなくそれを聞いて「自分がどう思ったか」が大事だし、その上で「自分は本当はどうしたいのか?」を再度考えるのが超絶大事。他者と接することによって、自分の輪郭ってはっきりするからね。

 

 

 

そう思うと、どんなにムカつくことだったり的外れなことを言われて「はぁ!?」を通り越して「パァ!?」となったとしても、その人が自分の本当の気持ちや大事にしたいものを思い出させてくれたわけだから、感謝なんですよ。その人自体は良いも悪いもないけど、自分にとっては悪役を買ってくれたわけですから。まあ、あまりにもムカつくことを言われたら、感謝しながら超嫌いになっていいし。

 

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ベジータいいよーその調子。

 

強引にまとめに入ります

 

なんでこんなこと書こうかと思ったのかというと、1つは何かを学び始めてみたけどしっくりこなかったり、なんだか好きになれなくて悩んでいたり、資格を取ったけど仕事にしたくないと思ってしまうことに、罪悪感を感じている人って割と多いのだと知ったので、「まあしょうがないよね、そう思っちゃったんだからさ」と言いたかった。最初はショックかもしれないけれど、大丈夫、死にはしないし、なんとかなる(笑)

 

 

 

あともう1つは、ご存知の方もいるかも知れないが、私自身も九星気学という占い(正確には哲学という位置づけだが、世間的には占いだと思われている)をメニューに持っている身として、占いってなんでこんなに断定的なものの言い方をするわけ?と疑問に思い続けて、考え続けてきたから。

 

なんで

「あなたこうなるわよ!」とか

「こうしなさいよ!!」とか断言しちゃうんだろう。

人の人生に責任を持てるわけでもないのに。

 

 

そうやってかなり批判的なスタンスを持ちながら、学び続けてきました。面白いものだし、いいものだし、使い方によっては人生に有効作用する素晴らしい学びではあるんですよ、占いとかって。でも、断定的な見解は人の自立心や自尊心を傷つけるし、何より依存を生むんだよなぁ…なんか好かんなぁ…ずっとそう思い続けてきたからこそ、「占いをどう捉えるか」という自分なりの真理が欲しくて7年くらい考え続けてきました。

 

毎日考えてきて、持論が腐るほどある。

 

 

で、最近になって「当たるも八卦、当たらぬも八卦」は真実だなぁと思ったんですよ。100%当たる、100%予言が的中するものは、たぶんこの世にはないか、あったとしてもそれは誰も救わないのだと確信した。未来が当てられても、回避できるかは分からないし、回避できたとしても「そうならなかった現実」は確かめることが出来ないから。

 

 

当たる、当たらないに振り回されず

それを参考材料にしながら、言われたことを踏まえた上で

「自分はどうしたいのだろう?」という自由意志こそが自分の人生を創造するなという考えに至ったわけです。

 

 

てか、そうじゃなければ人生つまらないじゃないですか。

あなたこうなりますよ、って言われたら安心かもだけど、絶望もしませんか?

 

 

未来がどうなるか分からないから「不安」になるのも事実けど

未来がどうなるか分からないから「楽しみ」なのも事実。

 

 

だったら、楽しい方がいいなぁと思ったのです。

だから一生懸命お伝えすることはして、あとは受けた方の「本当はどうしたい?」に沿って一緒に考えて行けるスタンスを取りたいと思ったのと、自分にも何かしらのバイアスがかかっていることを自覚したうえで、断定的な言い方や追い込むような形を取らないように、気を付けたいなという自戒の意味を込めて書いてみました。

 

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自分で選ぶから、おもしろいことっていっぱいあるよね。