ナカザワメグミ ドットコム

ナカザワの頭と心を大公開。魂ぶるぶる言わせたろか

だから書いているんだよ

人の反応を異常に気にする人間なので、ブログなんて始めたら過剰に人の反応を読み取り過ぎて、反応がいい記事の傾向に寄せていく方針を取り、結果自分の気持ちを置き去りにするかもしれないと思うと怖くて、ずっとブログを始めることが出来なかった。

 

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昨日まで連続の続きものを書いていたのだが、この期間は一番精神的に疲れた。

ザ・ノンフィクション~37歳、人生で一番熱い夏~ - 失敗するから人生おもろい

ザ・ノンフィクション②~37歳、人生で一番熱い夏~ - 失敗するから人生おもろい

ザ・ノンフィクション③~37歳、人生で一番熱い夏~ - 失敗するから人生おもろい

 

①の記事を書けばだいたいこういう反応があって、②でかなり盛り上がり、③でおもんないと思う人は思って反応しなくなるだろうな、と思って書いたら予想通りになって内心おかしかった。誰が最後までおもしろおかしく書いてやるかバカ野郎と思いながら書いた。

 

わたしにとって、期待に応えようと努力することは簡単で

 

期待を無視しして自分の好きなようにすることの方が遥かに難しい。

 

超難しい。未だに吐きそうになりながら、うっかりウケ狙いの記事を書きそうになるところを必死でこらえている。心を売らない、顔色を窺わない、自分だけをみて、自分の一番表現したい、旬なものを出したいときに、出す。

 

面白いことを書きたい時もある。

 

死ぬほどネタを頭の中でこねくり回して、いかに自分が納得できるか作り上げて行きたい時もある。

 

シリアスなことを書きたい時もある。

 

特にこれは急を要していて、最近頭がおかしいのだ。そういうと必ず「前からだよ」と言われるけれど、そう確かに以前から頭はおかしいのだけど、最近さらにおかしくなってきて、昔の記憶がどんどん薄くなっていっているのだ。

 

加齢による記憶力の低下なのか、それとも最近はわたしが少し幸せになってしまったからなのか、分からない。分からないけれど、あんなに思い悩み、努力したことや、恥辱にまみれて殺意さえ抱いたことすら、なんだか本当に自分の経験だったのだろうかと思うほどに、体感がなくなり同時に記憶や感情からも遠くなくなっていく感じが最近すごくある。

 

いいことも、わるいことも、なんだか全てが朧げになってきた。

だから覚えているうちに書かないと、そう思ってる。

 

なんか脳みそにデカいダメージを負ったのかもしれない。特にブログを書くようになってからが、ひどい。自分の体の中にあった言葉を、毎日のように原稿用紙10枚分くらい吐き出す。すると、アウトプットしたあと、識字能力が異常に下がる。簡単に言うと、文字を吐き出すと、文字が読めなくなるのだ。目で日本語をなぞることは出来るけど、意味を把握することが難しくなる。なんだかインプットを拒否しているみたいだ。

 

 

なんだかそうやって、人の世界とは隔離して、自分に集中して、自分の世界を言葉に変えて人の反応を伺うのではなく、人に与える影響も気にせず、ただ自分の心地よさと自分の反応だけを気にして文章を書く毎日を送っていると、すごく不思議なことにあれだけ用もなくご飯を食べていた謎の食欲がピタッとやんだ。お腹が空かないのである。なんかいつも満腹。一人前の焼きそばを食べるのに、1時間を要する体たらく。昔は変わらぬ吸引力で5分で食べられるダイソン女子だったのに。

 

 

おそらく気持ちが満たされているのだろうと思う。表現欲求がある人はそれを止めない方が健全だ。でも人生においてどんなに悩んだ時も、どんなに暑い時も食欲だけは落ちたことがない人間だったので、ここ最近の食べられなさはちょっと引く。死ぬんかな。そう思う時がよくある。でも書いてみて、ただの加齢によるものかも知れないと思ったりもした。

 

 

でも心穏やかなのである。お金の心配やこの先の心配が消えたわけでは決してないし、このブログを書いたからって空から1円も降ってこないのにも関わらず、なんだか人生でこんなに穏やかで満たされていた瞬間が長いことがあっただろうかと思うくらい、満ちているのである。それが不思議でならない。

 

今までも「今日死んでもいい」と思うことは何度もあった。それはその瞬間「快楽的な幸せ」をすごく感じた結果、「今死ねたら最高にいい幕引きだな」と思えたからであって、自分の人生を綺麗に飾りたかったからだ。

 

 

でも最近は毎日「今日死んでも大丈夫、死ねる」と思う。おかしな話である。世の中的な成功も収めていなければ、すごく快楽的な幸せを感じたわけでもなく、ましてや今日は一生懸命生きました!頑張った自分!というほど頑張ってもいないし、なんならブログを書いただけである。

 

それだけで「今日死ねる」と思うくらい、充足感に満ちるのだ。誰の評価にもならず、金にもならず、生活を支えもせず、自分の人生に社会的な発展をもたらすこともない、このブログが、私に「今日死ねる」と思わせるくらい「生き切った」という深い充足感をもたらすのだ。

 

 

人の顔色を気にする癖はまだある。反応があればあるほど、怖い。自分を見失いそうになり、世間に迎合しそうになる自分がいて怖い。でも、そういう自分がいることを認めた上で、心を落ち着かせて「今日はなにを書こうかな」と自分と向き合って言葉を紡いでいく作業だけで、どうやら私は生きた心地がするようです。

 

真の幸せとはなんだろう。

 

あと少し、もう少しでそれを掴めそうな気もするしその前に死んじゃう気もする。いつか言葉に出来たらいいな。そういう気持ちで今日も自分のための文章を綴る。

 

他でもない、私のために書く。

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