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ナカザワの頭と心を大公開。魂ぶるぶる言わせたろか

踏ん張らないで、ダメになってみる

今まで培ってきたスキルを捨てる時というのは誰にでもあるのだと思う。それまでは必要で、それがないと上手く行かなかったから培ってきたスキルがあるとする。しばらくはそれを手に入れて上手くいっていたが、少しずつ違和感を覚えるようになったら、その時は新しいスキルをプラスするか、今までのやり方を捨てて新しく刷新するかのどちらか、あるいは立ち止まるかのいずれかが好ましい。

 

Do something different. うまく行ってない時は何でもいいから違うことをせよ。この哲学を発動する「潮目」に敏感であることが、自分の感覚に正直に生きることに直結している。最近は躊躇なく様々なものを捨てる。例えそれが世間からみてどクズだとしても。

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わたしのコミュニケーション研磨の歴史

 

私が人生を賭けて磨いてきたスキルと言えば、対人コミュニケーションスキルだと言い切れる。キャリアは実に3歳からだから35年。ずっと磨き上げて来たのには理由がある。めちゃくちゃ人見知りで、一人遊びが大好きだった上に、とにかく喋れない子供であった。

 

 

喋れないというのは、ひとつは恥ずかしくて話せなかったのと、もう一つは自分の感じた感覚を他人が理解する言葉に置き換えることが出来なかったから、沈黙を守った。今もそれは苦労している。単純に悲しい、嬉しいだけではない、大きな感情を感じているのに、それを表現する方法と、語彙が幼少のころはあまりにも少なくて苦しくてもどかしくて、口を開けば先に涙が出るような子供だった。そして兄も口数の少ない子であったため、母がいつもその嘆きを私に聞かせていた。

 

 

この話をすると「毒親」とか言われたことがあるが、人の親を毒親呼ばわりするなんて、なんて失礼なんだろうと怒りが湧いた。地元は遥か遠く、誰も頼る人がいない環境の中で、迷いながらも懸命に2人の子供を育てる20代の女性が目の前にいたら、同じ言葉を吐けるのかと思う。誰も幸せにならない言葉は不快だし、子供の親に対する愛と承認欲求は理屈じゃない、本能だ。あらがえるわけがない。親を憎むことは、自分自身を否定することに繋がる。これはもう、理屈じゃない。頭で分かるより体で分かることもこの世には沢山ある。

 

 

そういうわけで母を愛するが故、喋れない自分のやばさに3歳で気が付いた。自分も兄と同じくらい喋れないが、このままでは母が困ってしまう。喋れるようにならなければ。そこからは毎日勇気を振り絞る連続だった。同級生の喋り方をよく聞いて、単語を学んだり、喋り方、空気の読み方を学んだ。

 

 

それは小学校に上がっても続き、もっと全然知らない人と話せる度胸をつけなきゃと、土日や夏休みを使って、同じ学校の子が参加しないようなユネスコのイベントや、ガールズスカート、ボランティア活動からキリスト教徒でもないのにミサやバザー、宿泊合宿にも参加していた。誰も知っている人がいない所に行くのは本当に怖かった。でもそういうことが出来なければ、自分の人見知りやコミュニケーションは改善されないと信じ込み、積極的に自分に負荷をかけた。それでも上手くなった感じはなかった。

 

 

中学になってからは「面白い要素」があった方が誰とでもうまくやっていけるのだと思い、1年間、ダウンタウンの『ガキの使いやあらへんで』をビデオに撮り、フリートークの部分で特に自分が面白いと感じる箇所を書き起こしし、ボケの置きどころのさじ加減や、ツッコミの強弱、スピード、間、そういうものを研究し、ビデオが擦り切れるほど見まくり、浜ちゃんのツッコミに合わせて自分も練習した。

 

素人の場合、ボケはその場の人間の理解力の平均を見極めた上で発することが大事。もしくはその場に優秀なツッコミがいれば、少し斜め上のボケを出しても回収して笑いに持って行ってもらえる。滑らないでウケる、というのはすごく緻密なことをしているし、ツッコミだってなんでもツッコめばいいってもんじゃない。相手を傷つけることなく、さらしものにするでもなく、オイシくしてあげるのはとても高度な技なのだ。お笑いを学んだことにより同時に場の空気を読む、人の能力を読み取る力がぐんとついたように思う。

 

 

たまに自分では面白いと思っている、つまらない人を見かける。いつも思う、その人はただ目立ちたいだけであって、決して笑わせたいのではないのだと。承認欲求の道具としてのお笑いほど痛々しいものはない。献身が足りないのだ。

 

 

高校になるとだいぶ上手に人と接することが出来るようになっていた。それでも元来の人見知り、一人が好き、自分の感覚を言葉に出来ない、という性質が変わったわけではない。性質を覆い隠すように、対人折衝能力は上がり、スキル武装したパーソナリティを演じるようになっていった。

 

弱いままの内面と、それを見せないための外面のギャップに気が狂いそうになっていた。どちらが一体私なんだろう。ずっとこんなに苦しい想いをして生きていくのだろうか。大人になったらこの仮面をずっと演じ続けなければ、社会でやっていけないのだろうか。そう思うとただただ大人になるのが怖かった。この時ですでに生きることに疲れていたらしく、早く死にたがっていたと後に同級生から聞いた。

 

 

もっと沢山の人と話せるように、語彙や表現力を増やしたくて国文科のある短大に進学した。中3で初めて小説を1冊読めたというレベルの人間が行っていいような学科ではなかった。まだ識字能力がない0歳のころから、絵本が好きで本棚の前で楽しそうに物語のページをめくっていました、みたいな猛者がわんさかいた。当たり前だが、表現力や語彙力が桁外れに違った。そして同級生とは思えないほど彼女らが織りなす文章は美しかった。

 

 

1週間で4冊本を読みながら、ほぼ毎週小論文を書いてその差を埋めようと頑張ったが、無理だった。多少文章が書けるようになった2年間ではあったが、ネイティブで本を読んできた人には一生叶わないと悟った。手足を動かすように、言葉を操るあの軽やかで優しく整った文章は、私には一生書けない。

 

 

そして社会人になり、接客業を選択した。もうこの頃になると、当初の母のために喋れる人間になるぞ!という目的は潜在意識に刷り込まれ、思い出すこともなかったが今思い返すと、インストールされたプログラム通り「人と上手く話せるようにならなければならない」という思い込みのもと、接客業・営業職以外は選んではならないと思ってそれを無意識で選択し続けた。毎接客ごとに、頭の中で振り返りを行った。反応のよい対応はしばらく使う、良くなかったフレーズは何が悪かったのか、次回どうすればいいのか考え、実行する。そういう繰り返しを社会人になってから15年間やり続けた。

 

 

いつしかロールプレイングコンテストで好成績を収めるほどには、接客が上手くなっていき、高校のころ悩んでいた二面性すら受け入れるほどには大人になっていた。仕事でいい販売員を「演じる」ことは楽だし上手くいくことが多かった。けれど、もともと人とコミュニケーションを取ることが好きな人の接客には勝てなかった。ネイティブコミュニケーターは心底優しくそして本当に明るいのだ。私のように作り上げて来た人工コミュニケーターはどこか血が通っていない冷たさがある。それに後ろめたさを感じるようになっていた。もっと上手くならなきゃと思いながらも、すでに疲れ果て、自分のモチベーションに鞭を打ちながら過ごした日々だった。そりゃうつにもなるし、自死も選択するし、毎日ユンケル飲まなきゃ体だって動かいようになるわ。

 

 

 途中からカウンセリング、サイコセラピー、手相やカラー診断、気学やコーチングなどを学び、コミュニケーションは上手になって行ったように思う。ぱっと見は誰も私のことを人見知りで、何を話せばいいか分からない緊張感で常にソワソワしている人には見えないようにはなっていたと思う。

 

でもそれはある種の不自然な元気さをいつもまとっていた。勘のいいひとには「中澤さんの明るさは不自然。一緒にいて疲れる」と言われて、本当に悲しかったし、羞恥で殺意も芽生えた。お前に何が分かる。こっちだって必死で生きてこんな感じになっちゃったんだ。簡単に言うな。疲れるって思っていたなら距離を取ればいいものを。

 

そうやって、人や社会と上手くやるために身に着けたコミュニケーションが、徐々に人と社会と上手くやれない原因になってきた。生きやすくするために頑張ったのに、こんなにも苦しく生きづらい。じゃあどうすればよかったのだろうと、絶望感で涙が出た。

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もう無理ぽ、と突然思った

スキルを上げれば、いつか人格とスキルが融合して自然なコミュニケーターになれると信じて35年を捧げてきたけれど、決して本質的な性質が変わったわけではなかった。

 

相変わらず人見知りだし、人といるより一人でいる方が楽しいし、たくさんの人と友達になりたいとは思えない代わりに、知的で生産的な会話が出来、なおかつ自分の性質を知って尊重してくれる数名との人間関係があれば人生は満足だし、人がいっぱいいるところは恐怖で、家にいる方が好きだった。ちなみに飲み会も好きじゃないし、旅行もずっと同じ部屋だと急性胃腸炎になることが最近分かった。

 

 

むしろスキルを上げ過ぎると、初見の人にはすごくいい人っぽく見えるのだと思う。にこやかで、明るくてお話上手で、礼儀正しく、聞き上手、褒め上手。そういう印象からだろうか、お誘いごとが異常に多くなった。確かにどこに行っても場を持たせたり、盛り上げたりすることは出来る。でもそれはいつだって、わたしの命を削ってやっていたことだ。翌日は指一本動かなくなるくらい、疲労困憊する。その状態がだんだん怖くなっていったある日、突然こう思った。

 

 

もう無理ぽ。もういい人やめる。コミュ力の使い方を変える。

すげえ嫌われてもいいから、楽に生きたい。

 

 

踏ん張らないで、ダメになってみるレッスン中

では実際、最近はどうしているかというと、踏ん張らないでダメになることを選ぶようにしている。例えば前であれば、体調不良(1年の中で体調がいい日なんて計30日くらいじゃないだろうか)であっても、一生懸命約束した会合には参加したり、どんなメッセージも返信してきた。そういういいひとキャンペーンを辞めて、とにかく自分の心と体を優先するように努めている。

 

 

そもそも、一か月のうちに人と直接会える体力が決まっていて今のところ2人くらいが限界だから、ほとんどのお誘いは断る。もしこれを読んでいるあなたがエネルギー値が高く、人に会う方が元気になるタイプの人だったら意味が分からないと思うが、例えるなら1か月に2人としか面会が許されない場所にいるとしたら、あなたは誰と会うことを選択するだろう?そういうことだ。何日もかけて、事前に体調を整え、会ったあっと寝込むことを覚悟してまで会いたい人は私にもいる。そういう人には自分からアプローチをかける。

 

 

そんな理由があり、会うのはハードルが高いけれど、お誘い頂いた方の中には「お話はしたいな」と思う人はいっぱいいる。そういう場合は「オンラインで話すのであればいつでもOKです」とお伝えしている。しかし外向的な人からしたら、これが「ふざけんな案件」らしく、だいたいメッセージの返信が返ってこないか、「そんなんなら、そっち行くよ」と言われる。いやいや、来られても寝込んでるから会えないんだって。どうしてそんなに直接会うことが大切なのか分からないけれど、私が言葉を重ねることで人間関係を深めるように、彼らは直接会い語らうことで人間関係を深めることを大切にしているのだろうから、納得いかないのも理解はできる。

 

 

でもそこは私も譲れない。家から出ないであなたと話したいというのは、あなたをないがしろにしているわけではない。オンラインで喋るのだって、エネルギーを使って次の日の午前中は死ぬのだ。そのくらいの犠牲を払ってもいいと思うくらいには、あなたに興味も関心も、なにより好意があるということだ。これが伝わらなくていと悲しい。

 

 

メッセージは返せるときは返して、返せない時は返さないようにしている。以前はどんなに意味不明な内容でも付き合っていたが、あまりにもこちらの命を削る内容の場合は返信しないようにした。嫌われてもいいから、心地よさが欲しい。

 

 

いい顔をして生きて来た分、本当の自分でできる対応をしていけば、それは嫌われるし失望されると思うけれど、もうそれはいい顔をして生きて来た自分自身のツケを今払っているのだと思っている。因果応報は本当である。

 

なんだかとりとめのないことをたくさん書いたが

今こんな感じで生きている。

 

 

人生が生きやすくなるように、自分をたくさん矯正してみたけれどまったく矯正できなくて結局はそんな自分に降参して38歳からまた素直に生きようとしている。人間関係は大きく変わるだろうと思う。それでいい。結局は、ダメな自分でも許可してくれる人と私はこれから一緒に生きて行きたいし、そういう人たちのために命は使いたい。

 

 

正直、毎日勝手が分からなくて途方に暮れることが多い。頑張るのは簡単で、自分に心地よく生きることは実はこんなに怖くてこんなに分からないことが多い。それでも生き方を変えたいと思った。

 

38歳まで、不自由に生きてしまったから、せめて死ぬまでの時間があとどれくらい残されているか分からないけれど、わたしはわたしに楽に生きる経験をさせてあげたかった。その軽やかさを、生きる喜びを与えてあげたかった。

 

 

まだまだ手探り、でも今までの頑張りに比べたらきっと楽しい努力に違いないからやってみようと思う。人生は続くのだから。