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ナカザワの頭と心を大公開。魂ぶるぶる言わせたろか

「好き」を細かく見極める

先日書いた記事が思わぬ反応を頂き驚いた。わたしは良くも悪くも他者の視点に立てないので、どう思われるかとか、そういうのは分からずに書いた。いや違うな、今まではこういうリアクションが欲しい!というのを求めて書いていたように思うけど、わたしごとき脳みそがミニマリストでは、人様の反応を操るなんて出来ないと分かり、じゃあ自分が納得したように、自分が好きなように書こうと思った。今もそうしている。

megumintia.hatenablog.com

 

書いてみて、とても気持ちが楽になった。ああ、私はこの事をこんなにも言いたかったのだ。RGばりに「あるある言いたいよ」ってくらいずっとずっと言いたかったのだ。なんせこのブログタイトルは『失敗するから人生おもろい』。このくらいのつまずきをお見せしてなんぼである。言語化できるすべてを捧げたい。

 

 

そう、終わってみるといろいろなことが冷静に見えるわけで、自分はどうしてあんなに苦しかったのだろう?という渦中にいた時はさっぱり分からなかったことが、公表してから「すん」と分かった。

 

 

 

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作画・中澤

これは好き、あれはそうでもない

 

まず私はもともと「写真を観る」ことは好きだった。好きな写真家さんの画集を集めたり個展に行ったりしてその人の感性が切り取る世界を楽しむことは今でも好きだ。では「写真を撮ること」はどうだったのだろう?実はこれも好きだった。コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)が大好きで、リコー、富士フィルムSONYなどの機種を随時数台持ち、その時その時でスナップショットを楽しんでいた。

 

 

でもコンデジ写真をある日バカにされて、悔しくてニコンの一眼レフを買った。デジイチなら見返せる写真が撮れるだろうという、どうしようもない理由だけで10万円くらい投資したのだから、27歳の私はちょっとクレイジーだったと思う。

 

 

そこから一眼レフの素晴らしさにハマ…らなかった。操作も良く分からないし、思うような写真は撮れないし、何よりも重くて持ち歩きに大変不便だった。こうして年に数回使えばいい方だな、というクローゼットの肥やしと化して行き、もういい加減捨てようかなと思って最後に撮った写真がある人の目に留まり、そこから撮影依頼がスタートし3年間も続けさせて頂けることとなった。

 

私の人生の中で最もファンタスティックな出来事である。

 

「好き」って実は細かい

 

写真を撮るのは好きだった。でもそれはコンデジで自己満足の写真を撮るのが好きだったのだ。大きなデジタル一眼レフは、重さ・操作性・難易度・すべて好みではなかった。そして当たり前だが、写真をお仕事にすると必ず市場評価を受ける。いい、悪い、好き、嫌い。自分の技術や想いよりも、いかにお客様にご満足いただける需要のある写真を撮れるか否か、それが重くのしかかる。わたしはこれが耐えられなかった。

簡単に言うと、自分が撮ったものにやいのやいの言われるのが辛かった。

 

 

もちろん、やいのやいの言われずに「あなたの世界観に入りたい」と思わせるほどの世界観がある写真ならば、人は好んでその世界に入りに行くわけだから、双方ハッピーである。あくまで私の解釈だが、写真における「世界観」というのは撮影者の「芸術」であると思う。自分の中に表現したい芸術はあるか?その芸術に美学と哲学はあるか?そのトータルの独自性こそが写真における「世界観」であると、個人的には思う。わたしには、表現したい芸術も美学もなかった。唯一哲学はあったが、それを「商品」として売り出すための撮影技術がついてこなかった。そしてそれを磨こうと思うモチベーションもなかった。なんせデジイチが好きじゃないから。

 

 

「写真が好き」というのも実はかなりチャンクが大きい話をしているのだと辞めてから気が付いた。「写真をみる」のと「写真を撮る」のは違うし、「写真を撮る」のも「コンデジ」か「デジイチ」か「フィルム」かとか、手段も違うし、「写真を趣味で撮りたいのか」「何を撮りたいのか」「お金をもらって撮りたいのか」「どのレベルの撮影まで有料でこなしたいのか」それも全然違う。自分がどのポジションの「好き」でいられるのが一番心地よいのか、それを細かく把握することはとても大切だと思う。

 

 

「好きを仕事に」という謳い文句は素敵だけど、「好きなこと」はお金になっても素晴らしいし、お金にならなくても素晴らしい。自分が生きてきて、その時間のなかで「好き」なものに巡り合えたということだけで、すでに人生はきらめき、喜びを得るのだから。

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好きを細かく見極める方法

 

じゃあアンタ、そこまで言うなら好きを細かく見極める方法を教えなさいよとなるかもしれない。これは殴られるかもしれないが、「やってみなきゃわかんねーよそんなもの」「とりあえずやってみー」としか言えない。よほど自分のことを良く分かっている人以外、おそらくやってみなければ「ここまでは好き」「これ以上はいらない」ってのは分からないと思う。だから興味があるものは片っ端から攻めて「これ違うな」と思ったら華麗に捨てて次に行けばいいのである。あくまで自分の感覚を信じること。

 

 

よくいるのが「いつも中途半端に学んで、最後まで突き詰めて学べない」と言って悩んでいる方。あれはそもそも「突き詰めて一つのことを極めたい」という願望が自分にないことを受け入れた方がいい。色々そこそこ深堀して知りたい、色々なことに興味関心があるのだと自分を認めた方がよくて、1つのことを突き詰めてやるから突き抜ける人もいれば、複数のことをやって総合力で勝負する人もいる。どちらでもいいから、自分の性質を責めたり、世間と比べないことが「好き」を細かく見極める方法の近道になると思う。


あとは体が喜んでいるか、苦しんでいるか。熱出たりするものはいかがかと思う。ここはわたしの屍を超えて行って頂きたい。無理できるのは35歳まで、それ以降は命を削る。無理をするとはこういうことやで→正解よりも大切なことを選択する - 失敗するから人生おもろい

 

趣味に戻してあげるワクワク

 

というわけで、わたしは晴れて「好き」がわかりデジイチを一刻も早く手放して「コンデジ」が欲しい。コンデジでスナップ写真を自己満足で撮るのだと思うと今からめっちゃワクワクする。そしてこのコンデジが欲しい。

 

ライカ D-LUX7

ライカ D-LUX7

 

 17万円ちょっとするのだけど、この3年間でカメラに対する金銭感覚がぶち壊れてしまったので「え~!めっちゃ安い!!」とすら思ってしまう自分がいるから、きっと私はこれを買って、自由にこの世を切り取る喜びに震えるのでしょう。そしてお支払いにも震えるのでしょう。安いと思っても出す時は震えるのがわたしだ。でも欲しい。

 

好きと喜びから始まって、どんどん歩みを進めていったら、何が好きか分からなくなって苦しくなって、嫌いになって、降参して階段を下りたら、ちゃんと好きとワクワクと幸せが待っていてくれた。青い鳥はいつでも自分と共にある。

 

f:id:megumintia:20190618220514j:plainやり過ぎたって、人生おもろい。